2015年04月12日
親ロシア派回想
こんにちは、ロシアからの荷物が早く届いて欲しいと願うイワノフです。
ウクライナ東部の親ロシア派関係の品物を買ったので今から期待大ですよ。 ^^
予定ではもうそろそろ届くのですが・・・・。
さて、今日はまだ荷物も届いていないので画像でも貼っていこうかと思います。
ウクライナ東部の情勢も一応落ち着いているようなのでここで私なりに今までの
親ロシア派義勇軍の戦いを回想していこうかと思います。
ま~政治情勢的なことは抜きにして軍事的に私が興味を惹かれた事柄が中心です。
最初は 2014 年の 5 月、この月の初めに親ロシア派が支配するドネツクに親ロシア派
義勇軍 " ВОСТОК " 大隊が到着します。
↓ ドネツクに入った " ВОСТОК " 大隊の動画
市民の歓迎ぶりが印象に残ります。
" ВОСТОК " 大隊のトラックにはオセチアやチェチェン、ロシアの国旗等が掲げられています。
この " ВОСТОК " 大隊は装備的にも 9K38 イグラや 9K310 イグラ-1 等の携帯SAM を持っています。
↓ 携帯SAM を担ぐ " ВОСТОК " 大隊兵士
そしてこの 5 月の末にはウクライナ軍との本格的な戦闘がドネツク空港で起こります。
このドネツク空港での戦いでの親ロシア派義勇軍の画像を下記に。
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ①
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ②
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ③
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ④
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑤
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑥
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑦
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑧
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑨
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑩
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑪
この戦闘でウクライナ軍はドネツク空港を掌握、親ロシア派は空港周辺に陣地を構築し
ドネツク空港奪還の為の体制を整えようとします。
↓ ドネツク空港周辺の親ロシア派義勇軍陣地 ①
↓ ドネツク空港周辺の親ロシア派義勇軍陣地 ②
↓ ドネツク空港周辺の親ロシア派義勇軍陣地 ③
しかし、 6 月~ 7 月にかけてのウクライナ軍の攻勢に親ロシア派は戦線を維持できず
撤退を余儀なくされます。
親ロシア派はクラマトルスク ( Краматорск ) 、スラビャンスク ( Славянск ) から撤退。
ま~このころの親ロシア派はウクライナ正規軍に対して戦力的に劣っていましたね~、特に機甲戦力が。
親ロシア派が博物館や展示してあった第二次世界大戦時の戦車を引っ張り出したと云う記事が
出たのもこの頃です。
↓ 野外展示の T-34 戦車を動かそうとする親ロシア派兵士
↓ 親ロシア派が引っ張り出した T-34 戦車
↓ 親ロシア派が引っ張り出した JS-3 戦車
余談ながらこの親ロシア派が引っ張り出した JS-3 戦車は後にウクライナ側の手に渡り戦線から
戻されています。
↓ ウクライナ側に接収された親ロシア派が引っ張り出した JS-3 戦車
2014 年 7 月~ 8 月初旬に入り親ロシア派の劣勢は挽回しようも無くウクライナ軍にかなり攻め込まれます。
その親ロシア派の劣勢ぶりを示す戦況図を。
↓ 親ロシア派が最もウクライナ軍に攻め込まれていた頃の戦況図
ドネツク、ルガンスク間は分断され親ロシア派の敗北は濃厚・・・・。
ただ劣勢とはいえ親ロシア派はウクライナ軍に対し果敢に防衛戦を展開しています。
↓ 劣勢期の親ロシア派義勇軍の動画
結構、親ロシア派義勇軍兵士の表情は明るいですね。
それでも士気の低下を気にしてか親ロシア派は 8 月に入り味方の士気を上げるのと市民に対して戦果を強調する為にある行動に出ます。
一つは撃破したウクライナ軍の車両の残骸をドネツク市民に公開する。
もう一つは捕虜にしたウクライナ軍兵士をドネツク市街で行進させる。
この二つの行動を実際に行いました。
↓ ドネツク市民に対して公開展示されるウクライナ軍車両の残骸
↓ 捕虜にしたウクライナ軍兵士をドネツク市街で行進させる親ロシア派義勇軍兵士 ①
↓ 捕虜にしたウクライナ軍兵士をドネツク市街で行進させる親ロシア派義勇軍兵士 ②
以前のブログ記事にも書きましたが・・・捕虜の行進は悪手ですなぁ・・・。
もはや親ロシア派の敗北は濃厚で私も正直これはもうダメだろうと思いました。
しかしここから親ロシア派が一転して攻勢に出ます。
8 月も日がすすむにつれてなぜか親ロシア派の物とされる戦車、装甲車、自走砲等が結構な数、確認されます。
6 月以降でも親ロシア派の T-64 戦車が街中を走る動画や親ロシア派の BRDM-2 、 BTR-80 、 BMP-2 等は見られましたが
あきらかに 8 月に入ってから親ロシア派の機甲戦力が上がった感じです。
↓ 親ロシア派の T-64 戦車 ①
↓ 親ロシア派の T-64 戦車 ②
↓ 親ロシア派の T-64 戦車 ③
↓ 親ロシア派の T-72 戦車
↓ 親ロシア派の T-72 БА 戦車
これらの親ロシア派の戦車には特徴的なマークが描かれている車両があります。
白地にドクロマークが印象的です。
↓ 親ロシア派の戦車に描かれているマーク
↓ 親ロシア派の戦車に描かれているマーク ②
ドクロマークの上下に " Оплот Спецназ " と書かれています。
戦車の他にも確認された親ロシア派の車両群を。
↓ 親ロシア派の BMP-2
↓ 親ロシア派の BTR-82A
↓ 親ロシア派の 9К35 Стрела-10
ホント何処からこれだけ・・・と言いたい・・、ま~ロシアが関与しているのでしょうけど・・・。
あと確認された親ロシア派の戦車で一番の話題は T-72 Б3 でしょう。
↓ 撃破された T-72Б3
↓ こちらのT-72 戦車の画像も
この画像は親ロシア派曰くウクライナ軍から鹵獲した " T-72 M " なる戦車だそうで・・・・。
ん~・・・、自分には T-72Б3 にウクライナ軍がよく車両にしている識別用の白線塗っただけの
ように見えるのですが・・・。
これを親ロシア派の偽装工作と見るか本当にウクライナ軍からの鹵獲と見るか、どう思いますか ? 。
↓ ウクライナ軍から鹵獲したとされる " T-72 M " なる戦車を視察するドネツク人民共和国のコノノフ国防相 ①
↓ ウクライナ軍から鹵獲したとされる " T-72 M " なる戦車を視察するドネツク人民共和国のコノノフ国防相 ②
↓ この " T-72 M " なる戦車を視察するドネツク人民共和国のコノノフ国防相 の動画
ん~、T-72 Б3 に見えて仕方がないのですが。
さて、2014 年 8 月後半には親ロシア派はこれらの兵器を使用してウクライナ軍に対して攻勢に出ます。
その勢いは凄まじく瞬く間にウクライナ軍を各所で包囲、殲滅していきます。
↓ 親ロシア派の 2014 年 8 月の夏期攻勢時の戦況図の一部
ウクライナ軍が各所で親ロシア派義勇軍に包囲されているのが分かります。
戦況図を見るとドネツク市の東方、イロバイスク ( Иловайск ) でもウクライナ軍が包囲されています。
このイロバイスクでの包囲戦のニュースは結構話題になりましたね~。
さらに親ロシア派の攻勢は止まりません。
この親ロシア派の 2014 年 8 月の夏期攻勢で私が一番印象に残った Саур-Могила の攻略戦へと
続きます。
↓ 内戦前の Саур-Могила
この Саур-Могила を親ロシア派が奪還しドネツク人民共和国の旗を掲げた映像がもう大好きです。
↓ Саур-Могила に翻るドネツク人民共和国の旗
↓ Саур-Могила に翻るドネツク人民共和国の旗 ②
↓ 戦闘後の取材動画も
ここは景観といい印象深いです。
このСаур-Могила の攻略戦は親ロシア派義勇軍がウクライナ軍から Саур-Могила を奪還して終ります。
↓ ここで全体の戦況図を
戦況はルガンスク方面でも親ロシア派が攻勢に転じ、ルガンスク市がウクライナ軍の包囲から脱しています。
ここから親ロシア派義勇軍の 2014 年 8 月の夏期攻勢での画像を見ていきましょう。
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ①
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ②
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ③
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ④
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ⑤
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ⑥
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ⑦
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ⑧
2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍の戦闘動画も。
↓ 親ロシア派の 2014 年 8 月の夏期攻勢時の戦況図の一部 Part 2
ウクライナ軍は親ロシア派義勇軍の攻勢に対して完全に敗走状態。
ただ包囲されたウクライナ軍に対し撤退のための退却路を設けるようロシアのプーチン大統領が親ロシア派義勇軍側に
申し入れを行い親ロシア派のドネツク人民共和国、ザハルチェンコ首相が受け入れを表明する場面もありました。
ただこの包囲されたウクライナ軍の為の撤退路、所謂 " 人道回廊 " の設置にザハルチェンコ首相が無条件で応じた
訳ではなく " 包囲されたウクライナ軍部隊の重火器や兵器、弾薬の放棄 " が条件でした。
一連の戦闘を経て親ロシア派の支配地域は劇的に回復しドネツク州南部ではアゾフ海沿岸部にまで支配地域を
伸ばし、ドネツク州南部の港湾都市マリウポリ ( Мариуполь ) の近くまで親ロシア派義勇軍は進撃しました。
↓ アゾフ海沿岸部の親ロシア派義勇軍部隊 ①
↓ アゾフ海沿岸部の親ロシア派義勇軍部隊 ②
↓ アゾフ海沿岸部の親ロシア派義勇軍部隊 ③
↓ アゾフ海沿岸部の親ロシア派義勇軍部隊 ④
このアゾフ海沿岸部の親ロシア派義勇軍部隊 ④ の画像、塹壕の中で食事の準備中 ? の様子なのですが・・。
このレーションの箱とかに見覚えが・・・・、これってロシア軍のレーションだよなぁ~・・。
親ロシア派の支配地域拡大が落ち着きを見せ始めると今度はドネツク空港を巡る闘いが激しくなります。
この 2014 年 9 月からのドネツク空港を巡る闘いは翌年の 2015 年 1 月半ばまで続きます。
このドネツク空港を巡る闘いの親ロシア派側の主役と言えばこの二人でしょう。
↓ Гиви 氏 ( 左 ) と Моторола 氏 ( 右 )
この二人、 Гиви 氏は親ロシア派義勇軍部隊 " Сомали " 大隊の司令官。
Моторола 氏は親ロシア派義勇軍部隊 " Спарта " 大隊の司令官です。
9 月からのドネツク空港を巡る闘いではこの両大隊が親ロシア派の主力となっています。
↓ Гиви 氏 と Моторола 氏、指揮下の " Сомали " 、 " Спарта " 両大隊を取り上げた動画
ドネツク空港を巡る闘いは以前にもブログのネタにしたので少々割愛w。
空港施設の争奪戦によりドネツク空港はだんだん廃墟みたく崩壊していきます。
戦闘に参加している親ロシア派義勇軍の画像を下記に。
↓ ドネツク空港を巡る闘いに投入された " Спарта " 大隊
↓ Гиви 氏 ( 左から二人目 ) と " Сомали " 大隊兵士
↓ " Сомали " 大隊の民間車両の改造車両
↓ ドネツク空港を巡る闘いに投入される親ロシア派の T-72 戦車
↓ ドネツク空港を巡る闘いに投入される親ロシア派の T-72 戦車 ②
ドネツク空港の戦闘動画も少し。
ドネツク空港の争奪戦は年をまたぎドネツク空港は荒廃します。
↓ 戦闘により荒廃したドネツク空港 ①
↓ 戦闘により荒廃したドネツク空港 ②
↓ 戦闘により荒廃したドネツク空港 ③
↓ 戦闘により荒廃したドネツク空港 ④
ドネツク空港の管制塔は最終的には戦闘により倒壊致します。
2015 年に入ってからの戦闘で親ロシア派がドネツク空港を掌握しこの闘いはひとまず決着をみます。
↓ ドネツク空港に掲げられたノヴォロシア旗 ①
↓ ドネツク空港に掲げられたノヴォロシア旗 ②
↓ ドネツク空港に掲げられたノヴォロシア旗 ③
ドネツク空港の闘いは長期に渡ったのでこのドネツク空港に掲げられたノヴォロシア旗をみた親ロシア派の人々の
感慨やいかに・・・、と思いを馳せるイワノフです。
と、ここで私のお気に入りを一枚。
ドネツク空港の闘いが親ロシア派の勝利で決着をみ、後述するデバリツェボ ( Дебальцево ) の包囲戦も
落ち着きを見せた頃に撮られた親ロシア派義勇軍 " Сомали " 大隊の司令官の Гиви 氏の姿です。
↓ 親ロシア派義勇軍 " Сомали " 大隊の司令官 Гиви 氏
渋い、とても良い感じですよ。
なにか・・、やりとげた男の顔ですよ。
さて、ドネツク空港の闘いが終わり次に戦闘が激化したのがデバリツェボ ( Дебальцево ) 周辺の
ウクライナ軍突出部です。
親ロシア派はこの突出部を攻撃。
デバリツェボ ( Дебальцево ) を包囲する作戦にでます。
↓ デバリツェボ ( Дебальцево ) の包囲戦の概要を現した図
デバリツェボ ( Дебальцево ) の包囲戦も親ロシア派義勇軍が戦いを有利に進め最終的にはウクライナ軍がデバリツェボ
から撤退し親ロシア派がデバリツェボを制圧して終ります。
↓ デバリツェボ ( Дебальцево ) に掲げられたノヴォロシア旗
動画も
ま~、親ロシア派がデバリツェボ ( Дебальцево ) を制圧する数日前、2015 年 2 月 12 日にミンスクで停戦合意 ( ※ ) がなされておりますので
親ロシア派の 2015 年 2 月 15 日以降の攻撃は停戦違反との声は無視できません。
※ 2015 年 2 月 15 日をもって停戦することがミンスクで行われた首脳会議で決めらています。
ここからはデバリツェボ ( Дебальцево ) に入る親ロシア派義勇軍の画像を。
↓ Дебальцево に入る親ロシア派義勇軍部隊 ①
↓ Дебальцево に入る親ロシア派義勇軍部隊 ②
↓ Дебальцево に入る親ロシア派義勇軍部隊 ③
↓ Дебальцево に入る親ロシア派義勇軍部隊 ④
↓ デバリツェボの包囲戦に投入された親ロシア派義勇軍の T-72 БА 戦車
次の一枚が私的に一番心にきました。
デバリツェボでの親ロシア派義勇軍兵士の画像なのですが手前で遊んでいる幼い子供がなんとも・・・・。
↓ デバリツェボでの親ロシア派義勇軍兵士
さ~て、今回は長々と私的に親ロシア派の戦いを回想がてら画像を貼っていきましたがお付き合いいただき
ありがとうございました。
親ロシア派回想はこれで終わります。
と、最後に一枚。
余談ながらとある画像が私の目にとまりました。
ルガンスクでの親ロシア派義勇軍の兵士とのことなのですが。
↓ ルガンスクでの親ロシア派義勇軍の兵士
この兵士の装備品そのままに着ている服をデジタルフローラの迷彩服に変えたらまんまロシア連邦軍の兵士みたく
なりますよね~・・・・。
動画や画像を見ていると時々そのような想像をいだかせる親ロシア派義勇軍兵士を見かけます。
どうかな !? 、どうなのっ !? って感じですw 。
それでは今日はこれで終わります。
今回は長々と閲覧お付き合いありがとうございました。
ウクライナ東部の親ロシア派関係の品物を買ったので今から期待大ですよ。 ^^
予定ではもうそろそろ届くのですが・・・・。
さて、今日はまだ荷物も届いていないので画像でも貼っていこうかと思います。
ウクライナ東部の情勢も一応落ち着いているようなのでここで私なりに今までの
親ロシア派義勇軍の戦いを回想していこうかと思います。
ま~政治情勢的なことは抜きにして軍事的に私が興味を惹かれた事柄が中心です。
最初は 2014 年の 5 月、この月の初めに親ロシア派が支配するドネツクに親ロシア派
義勇軍 " ВОСТОК " 大隊が到着します。
↓ ドネツクに入った " ВОСТОК " 大隊の動画
市民の歓迎ぶりが印象に残ります。
" ВОСТОК " 大隊のトラックにはオセチアやチェチェン、ロシアの国旗等が掲げられています。
この " ВОСТОК " 大隊は装備的にも 9K38 イグラや 9K310 イグラ-1 等の携帯SAM を持っています。
↓ 携帯SAM を担ぐ " ВОСТОК " 大隊兵士
そしてこの 5 月の末にはウクライナ軍との本格的な戦闘がドネツク空港で起こります。
このドネツク空港での戦いでの親ロシア派義勇軍の画像を下記に。
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ①
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ②
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ③
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ④
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑤
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑥
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑦
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑧
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑨
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑩
↓ 2014 年 5 月末のドネツク空港での親ロシア派義勇軍の戦闘画像 ⑪
この戦闘でウクライナ軍はドネツク空港を掌握、親ロシア派は空港周辺に陣地を構築し
ドネツク空港奪還の為の体制を整えようとします。
↓ ドネツク空港周辺の親ロシア派義勇軍陣地 ①
↓ ドネツク空港周辺の親ロシア派義勇軍陣地 ②
↓ ドネツク空港周辺の親ロシア派義勇軍陣地 ③
しかし、 6 月~ 7 月にかけてのウクライナ軍の攻勢に親ロシア派は戦線を維持できず
撤退を余儀なくされます。
親ロシア派はクラマトルスク ( Краматорск ) 、スラビャンスク ( Славянск ) から撤退。
ま~このころの親ロシア派はウクライナ正規軍に対して戦力的に劣っていましたね~、特に機甲戦力が。
親ロシア派が博物館や展示してあった第二次世界大戦時の戦車を引っ張り出したと云う記事が
出たのもこの頃です。
↓ 野外展示の T-34 戦車を動かそうとする親ロシア派兵士
↓ 親ロシア派が引っ張り出した T-34 戦車
↓ 親ロシア派が引っ張り出した JS-3 戦車
余談ながらこの親ロシア派が引っ張り出した JS-3 戦車は後にウクライナ側の手に渡り戦線から
戻されています。
↓ ウクライナ側に接収された親ロシア派が引っ張り出した JS-3 戦車
2014 年 7 月~ 8 月初旬に入り親ロシア派の劣勢は挽回しようも無くウクライナ軍にかなり攻め込まれます。
その親ロシア派の劣勢ぶりを示す戦況図を。
↓ 親ロシア派が最もウクライナ軍に攻め込まれていた頃の戦況図
ドネツク、ルガンスク間は分断され親ロシア派の敗北は濃厚・・・・。
ただ劣勢とはいえ親ロシア派はウクライナ軍に対し果敢に防衛戦を展開しています。
↓ 劣勢期の親ロシア派義勇軍の動画
結構、親ロシア派義勇軍兵士の表情は明るいですね。
それでも士気の低下を気にしてか親ロシア派は 8 月に入り味方の士気を上げるのと市民に対して戦果を強調する為にある行動に出ます。
一つは撃破したウクライナ軍の車両の残骸をドネツク市民に公開する。
もう一つは捕虜にしたウクライナ軍兵士をドネツク市街で行進させる。
この二つの行動を実際に行いました。
↓ ドネツク市民に対して公開展示されるウクライナ軍車両の残骸
↓ 捕虜にしたウクライナ軍兵士をドネツク市街で行進させる親ロシア派義勇軍兵士 ①
↓ 捕虜にしたウクライナ軍兵士をドネツク市街で行進させる親ロシア派義勇軍兵士 ②
以前のブログ記事にも書きましたが・・・捕虜の行進は悪手ですなぁ・・・。
もはや親ロシア派の敗北は濃厚で私も正直これはもうダメだろうと思いました。
しかしここから親ロシア派が一転して攻勢に出ます。
8 月も日がすすむにつれてなぜか親ロシア派の物とされる戦車、装甲車、自走砲等が結構な数、確認されます。
6 月以降でも親ロシア派の T-64 戦車が街中を走る動画や親ロシア派の BRDM-2 、 BTR-80 、 BMP-2 等は見られましたが
あきらかに 8 月に入ってから親ロシア派の機甲戦力が上がった感じです。
↓ 親ロシア派の T-64 戦車 ①
↓ 親ロシア派の T-64 戦車 ②
↓ 親ロシア派の T-64 戦車 ③
↓ 親ロシア派の T-72 戦車
↓ 親ロシア派の T-72 БА 戦車
これらの親ロシア派の戦車には特徴的なマークが描かれている車両があります。
白地にドクロマークが印象的です。
↓ 親ロシア派の戦車に描かれているマーク
↓ 親ロシア派の戦車に描かれているマーク ②
ドクロマークの上下に " Оплот Спецназ " と書かれています。
戦車の他にも確認された親ロシア派の車両群を。
↓ 親ロシア派の BMP-2
↓ 親ロシア派の BTR-82A
↓ 親ロシア派の 9К35 Стрела-10
ホント何処からこれだけ・・・と言いたい・・、ま~ロシアが関与しているのでしょうけど・・・。
あと確認された親ロシア派の戦車で一番の話題は T-72 Б3 でしょう。
↓ 撃破された T-72Б3
↓ こちらのT-72 戦車の画像も
この画像は親ロシア派曰くウクライナ軍から鹵獲した " T-72 M " なる戦車だそうで・・・・。
ん~・・・、自分には T-72Б3 にウクライナ軍がよく車両にしている識別用の白線塗っただけの
ように見えるのですが・・・。
これを親ロシア派の偽装工作と見るか本当にウクライナ軍からの鹵獲と見るか、どう思いますか ? 。
↓ ウクライナ軍から鹵獲したとされる " T-72 M " なる戦車を視察するドネツク人民共和国のコノノフ国防相 ①
↓ ウクライナ軍から鹵獲したとされる " T-72 M " なる戦車を視察するドネツク人民共和国のコノノフ国防相 ②
↓ この " T-72 M " なる戦車を視察するドネツク人民共和国のコノノフ国防相 の動画
ん~、T-72 Б3 に見えて仕方がないのですが。
さて、2014 年 8 月後半には親ロシア派はこれらの兵器を使用してウクライナ軍に対して攻勢に出ます。
その勢いは凄まじく瞬く間にウクライナ軍を各所で包囲、殲滅していきます。
↓ 親ロシア派の 2014 年 8 月の夏期攻勢時の戦況図の一部
ウクライナ軍が各所で親ロシア派義勇軍に包囲されているのが分かります。
戦況図を見るとドネツク市の東方、イロバイスク ( Иловайск ) でもウクライナ軍が包囲されています。
このイロバイスクでの包囲戦のニュースは結構話題になりましたね~。
さらに親ロシア派の攻勢は止まりません。
この親ロシア派の 2014 年 8 月の夏期攻勢で私が一番印象に残った Саур-Могила の攻略戦へと
続きます。
↓ 内戦前の Саур-Могила
この Саур-Могила を親ロシア派が奪還しドネツク人民共和国の旗を掲げた映像がもう大好きです。
↓ Саур-Могила に翻るドネツク人民共和国の旗
↓ Саур-Могила に翻るドネツク人民共和国の旗 ②
↓ 戦闘後の取材動画も
ここは景観といい印象深いです。
このСаур-Могила の攻略戦は親ロシア派義勇軍がウクライナ軍から Саур-Могила を奪還して終ります。
↓ ここで全体の戦況図を
戦況はルガンスク方面でも親ロシア派が攻勢に転じ、ルガンスク市がウクライナ軍の包囲から脱しています。
ここから親ロシア派義勇軍の 2014 年 8 月の夏期攻勢での画像を見ていきましょう。
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ①
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ②
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ③
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ④
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ⑤
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ⑥
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ⑦
↓ 2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍 ⑧
2014 年 8 月の夏期攻勢での親ロシア派義勇軍の戦闘動画も。
↓ 親ロシア派の 2014 年 8 月の夏期攻勢時の戦況図の一部 Part 2
ウクライナ軍は親ロシア派義勇軍の攻勢に対して完全に敗走状態。
ただ包囲されたウクライナ軍に対し撤退のための退却路を設けるようロシアのプーチン大統領が親ロシア派義勇軍側に
申し入れを行い親ロシア派のドネツク人民共和国、ザハルチェンコ首相が受け入れを表明する場面もありました。
ただこの包囲されたウクライナ軍の為の撤退路、所謂 " 人道回廊 " の設置にザハルチェンコ首相が無条件で応じた
訳ではなく " 包囲されたウクライナ軍部隊の重火器や兵器、弾薬の放棄 " が条件でした。
一連の戦闘を経て親ロシア派の支配地域は劇的に回復しドネツク州南部ではアゾフ海沿岸部にまで支配地域を
伸ばし、ドネツク州南部の港湾都市マリウポリ ( Мариуполь ) の近くまで親ロシア派義勇軍は進撃しました。
↓ アゾフ海沿岸部の親ロシア派義勇軍部隊 ①
↓ アゾフ海沿岸部の親ロシア派義勇軍部隊 ②
↓ アゾフ海沿岸部の親ロシア派義勇軍部隊 ③
↓ アゾフ海沿岸部の親ロシア派義勇軍部隊 ④
このアゾフ海沿岸部の親ロシア派義勇軍部隊 ④ の画像、塹壕の中で食事の準備中 ? の様子なのですが・・。
このレーションの箱とかに見覚えが・・・・、これってロシア軍のレーションだよなぁ~・・。
親ロシア派の支配地域拡大が落ち着きを見せ始めると今度はドネツク空港を巡る闘いが激しくなります。
この 2014 年 9 月からのドネツク空港を巡る闘いは翌年の 2015 年 1 月半ばまで続きます。
このドネツク空港を巡る闘いの親ロシア派側の主役と言えばこの二人でしょう。
↓ Гиви 氏 ( 左 ) と Моторола 氏 ( 右 )
この二人、 Гиви 氏は親ロシア派義勇軍部隊 " Сомали " 大隊の司令官。
Моторола 氏は親ロシア派義勇軍部隊 " Спарта " 大隊の司令官です。
9 月からのドネツク空港を巡る闘いではこの両大隊が親ロシア派の主力となっています。
↓ Гиви 氏 と Моторола 氏、指揮下の " Сомали " 、 " Спарта " 両大隊を取り上げた動画
ドネツク空港を巡る闘いは以前にもブログのネタにしたので少々割愛w。
空港施設の争奪戦によりドネツク空港はだんだん廃墟みたく崩壊していきます。
戦闘に参加している親ロシア派義勇軍の画像を下記に。
↓ ドネツク空港を巡る闘いに投入された " Спарта " 大隊
↓ Гиви 氏 ( 左から二人目 ) と " Сомали " 大隊兵士
↓ " Сомали " 大隊の民間車両の改造車両
↓ ドネツク空港を巡る闘いに投入される親ロシア派の T-72 戦車
↓ ドネツク空港を巡る闘いに投入される親ロシア派の T-72 戦車 ②
ドネツク空港の戦闘動画も少し。
ドネツク空港の争奪戦は年をまたぎドネツク空港は荒廃します。
↓ 戦闘により荒廃したドネツク空港 ①
↓ 戦闘により荒廃したドネツク空港 ②
↓ 戦闘により荒廃したドネツク空港 ③
↓ 戦闘により荒廃したドネツク空港 ④
ドネツク空港の管制塔は最終的には戦闘により倒壊致します。
2015 年に入ってからの戦闘で親ロシア派がドネツク空港を掌握しこの闘いはひとまず決着をみます。
↓ ドネツク空港に掲げられたノヴォロシア旗 ①
↓ ドネツク空港に掲げられたノヴォロシア旗 ②
↓ ドネツク空港に掲げられたノヴォロシア旗 ③
ドネツク空港の闘いは長期に渡ったのでこのドネツク空港に掲げられたノヴォロシア旗をみた親ロシア派の人々の
感慨やいかに・・・、と思いを馳せるイワノフです。
と、ここで私のお気に入りを一枚。
ドネツク空港の闘いが親ロシア派の勝利で決着をみ、後述するデバリツェボ ( Дебальцево ) の包囲戦も
落ち着きを見せた頃に撮られた親ロシア派義勇軍 " Сомали " 大隊の司令官の Гиви 氏の姿です。
↓ 親ロシア派義勇軍 " Сомали " 大隊の司令官 Гиви 氏
渋い、とても良い感じですよ。
なにか・・、やりとげた男の顔ですよ。
さて、ドネツク空港の闘いが終わり次に戦闘が激化したのがデバリツェボ ( Дебальцево ) 周辺の
ウクライナ軍突出部です。
親ロシア派はこの突出部を攻撃。
デバリツェボ ( Дебальцево ) を包囲する作戦にでます。
↓ デバリツェボ ( Дебальцево ) の包囲戦の概要を現した図
デバリツェボ ( Дебальцево ) の包囲戦も親ロシア派義勇軍が戦いを有利に進め最終的にはウクライナ軍がデバリツェボ
から撤退し親ロシア派がデバリツェボを制圧して終ります。
↓ デバリツェボ ( Дебальцево ) に掲げられたノヴォロシア旗
動画も
ま~、親ロシア派がデバリツェボ ( Дебальцево ) を制圧する数日前、2015 年 2 月 12 日にミンスクで停戦合意 ( ※ ) がなされておりますので
親ロシア派の 2015 年 2 月 15 日以降の攻撃は停戦違反との声は無視できません。
※ 2015 年 2 月 15 日をもって停戦することがミンスクで行われた首脳会議で決めらています。
ここからはデバリツェボ ( Дебальцево ) に入る親ロシア派義勇軍の画像を。
↓ Дебальцево に入る親ロシア派義勇軍部隊 ①
↓ Дебальцево に入る親ロシア派義勇軍部隊 ②
↓ Дебальцево に入る親ロシア派義勇軍部隊 ③
↓ Дебальцево に入る親ロシア派義勇軍部隊 ④
↓ デバリツェボの包囲戦に投入された親ロシア派義勇軍の T-72 БА 戦車
次の一枚が私的に一番心にきました。
デバリツェボでの親ロシア派義勇軍兵士の画像なのですが手前で遊んでいる幼い子供がなんとも・・・・。
↓ デバリツェボでの親ロシア派義勇軍兵士
さ~て、今回は長々と私的に親ロシア派の戦いを回想がてら画像を貼っていきましたがお付き合いいただき
ありがとうございました。
親ロシア派回想はこれで終わります。
と、最後に一枚。
余談ながらとある画像が私の目にとまりました。
ルガンスクでの親ロシア派義勇軍の兵士とのことなのですが。
↓ ルガンスクでの親ロシア派義勇軍の兵士
この兵士の装備品そのままに着ている服をデジタルフローラの迷彩服に変えたらまんまロシア連邦軍の兵士みたく
なりますよね~・・・・。
動画や画像を見ていると時々そのような想像をいだかせる親ロシア派義勇軍兵士を見かけます。
どうかな !? 、どうなのっ !? って感じですw 。
それでは今日はこれで終わります。
今回は長々と閲覧お付き合いありがとうございました。
Posted by イワノフ at 09:32│Comments(0)
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